中国文学作品-三国志演義

中国文学作品-三国志演義

投稿記事by admin » 2014年6月22日(日) 10:20 am

 
『三国志演義』(さんごくしえんぎ)は、中国の明代に書かれた、後漢末・三国時代を舞台とする時代小説・通俗歴史小説である。四大奇書の一つに数えられる。

画像


 著者は定説をみず、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと伝えられている。

 後漢末・三国時代を舞台とする説話や講談は古くからあり、すでに北宋の時代には劉備と蜀漢を善、曹操と魏を悪役とするイメージが定着していたという記録がある。元代には「全相三国志平話」(全ページ絵入り三国志物語)が刊行されており、「三国志演義」の原型の一つと目されている。このような潮流の中で「三国志演義」は成立した。成立時期は元末・明初とされる。本書は、蜀漢を正統・善玉とする講談の潮流を維持しながらも、それまでの説話や講談にあった極端な荒唐無稽さや歴史年代を無視した展開を排し、黄巾の乱から呉の滅亡までの後漢末の重要事件と陳寿の「三国志」の扱う範囲を収めている。漢王朝の血を引く高潔な主人公劉備と王朝を支配し専横を振るう曹操との対立軸を中心とした高い物語性、史書への精通に裏打ちされた逸話の巧みな選択と継起、白話(口語)とは言いながらも洗練された文章で人気を博した。

 本書の書名は清代より『三国志演義』『三国演義』などと呼ばれ、一致を見なかった。民国期の小説研究では、魯迅『中国小説史略』、胡適『白話文学史』が全て『三国志演義』という名称を用いたが、新中国成立後は『三国演義』に統一された。現在の中国では全て『三国演義』と呼称されている。また、嘉靖本の版本名から『三国志通俗演義』という名称が用いられることもある。

画像


 また、本書の成立当初から『三国志』と呼称されることも極めて多かった。これは歴史小説としての箔をつけるために、歴史書である『三国志』の書名を借りたものと思われ、李卓吾本系の版本を中心に『三国志』『三国志伝』といった名称が盛んに用いられた。しかし、通俗小説と歴史書が同じ名称で呼ばれたことで、小説と歴史の混同する人々がいることは清代から批判されてきた。現代中国においては、『三国演義』の呼称が徹底されており、日本からの輸入メディアを除いて三国志演義を元に作られた小説や映画等が『三国志』と呼ばれることはまずない。例えば民国期に作られた連環画『三国志』は、現代中国では『三国演義』という書名に改められて再版されている。

 日本ではこのあたりの区別については鷹揚であった。戦前から幸田露伴・久保天随などが『三国志演義』あるいは『演義三国志』という呼称を用いており、戦後も立間祥介の訳本は『三国志演義』であり、研究者の呼称も同様であった。また岩波文庫の訳本、吉川英治の小説、横山光輝の漫画等が全て『三国志』という名称で刊行されている。日本国内における各種解説本などでこれらを区別する場合、『三国志演義』の記述を「演義」、『三国志』の記述を「正史」という呼び分けるのが通例となっている。

本文は下記サイトに載っています。

http://www.shibunsha.com/08_zhongguo_wenxue/index_hanzi_ban.php
アバター
admin
管理人
 
記事: 81
登録日時: 2014年3月26日(水) 3:44 pm

Return to 文学

オンラインデータ

このフォーラムを閲覧中のユーザー: なし & ゲスト[1人]

梓文社-中国語教室 〒721-0973 福山市南蔵王町6-25-4
cron