中国史における項羽と劉邦、楚漢戦争において活躍した、張良、范増、陳平、韓信、蕭何などの知者

中国史における項羽と劉邦、楚漢戦争において活躍した、張良、范増、陳平、韓信、蕭何などの知者

投稿記事by admin » 2014年6月18日(水) 11:27 pm

掲題のメンバーには漢の三傑(張良・蕭何・韓信)が含まれていますが、その三傑をお話ししましょう。

漢の三傑は主に漢が楚を滅ぼす過程で功績があった者、というのが主な基準です。
このうち、この3人の功績は非常に大きいながら、活躍した分野が違うので並べているわけですね。

劉邦は蕭何を功第一としましたが、これはいわゆる劉邦譜代の者の中から選んでいます。
劉邦がその王朝を築き上げる上で、蕭何を行政トップに据える上では蕭何を功第一とする必要があったわけです。
張良はいわば軍師、個人的ブレーンのような位置づけで組織の長というタイプではありませんし張良もその地位は望んでいませんでした。
韓信は王に封じられており、劉邦の漢王朝の外にいるようなものですから対象外。
蕭何の功第一には群臣からも異論が噴出しますが、劉邦は補給を続けて苦しい時も支えた事、戦場の功も他は自分一人で参加した事に対し、蕭何は自分は戦場に行かない代わりにその一族・子弟をたくさん送り続けた事といって群臣の異論を封じました。

評価基準が曖昧だと評価も個人的好き嫌いで結構分かれるのですが、もうちょっと知者の定義を細かくしてみて評価したいと思います。

戦略立案能力・・・張良
戦術能力・・・韓信
行政能力・・・蕭何
戦術的謀略能力(日本の戦国時代に例えるなら調略の能力とでもいいましょうか)・・・陳平 (謀略に関しては張良と分野がかぶっていますが、陳平は匈奴との戦いで白登山で劉邦が危機に陥った時、謀略を駆使して救った事を評価。後の呂氏一族に対する逆クーデターも評価)

范増・・・番外。戦略的視点はそこそこあったが、軍師としては張良ほど時代の流れは読めていなかった事(張良は六国の復活を諌止、范増は旧体制の復活に異を唱えず項羽の覇権体制確立に大して貢献しなかった)。

この中で、どの能力を一番高く評価するかによってトップは決まります。(ランキングはそれぞれ能力が違うので難しい)
私自身としてはやはり戦略立案能力は余人に替えがたい能力なので、やはり張良を一番高く評価します。

韓信の戦術能力、軍司令官としての能力も確かに抜きんでていますが、同時代に黥布・彭越がおり、この3人は後に劉邦に疑われて誅殺(韓信・彭越)、謀反(黥布)を起こしますが、韓信が簡単に謀反を起こせなかったのも黥布・彭越の存在もあったかと思われます。

蕭何も功績も確かに余人に替えがたい功績ではありますが、この分野においては後世名宰相と言われる人物も結構輩出されており、例えば後世の諸葛亮も同時代に生まれ、劉邦と幼馴染だったら諸葛亮が蕭何に代わっていたかもしれません。

しかし張良の軍師としての才能、戦略的な能力や時代の流れを読み取る目は不世出のものだと思います。
自らは韓の遺臣で始皇帝暗殺まで企てながら、劉邦と出会って以降は韓の復国にこだわらず、むしろ六国の復活には強く反対するなど、秦型の中央集権国家への展望まで持っていました。
実際に漢王朝の制度設計をしたのは蕭何ですが、記録には残っていませんが張良が蕭何に影響を与えた可能性はかなりあると思います。

劉邦は後に群臣を前にして、「わしの才はこの3人に劣る(漢の三傑)が、この3人を使いこなす事ができた」と有名な自慢話しをします。
ですが張良は劉邦の旗揚げ間もない時期から劉邦がこれから進むべき先、漢王朝がこれから進むべき先を示し続けた事から、私は張良こそが劉邦を含めた劉邦党を使いこなした大軍師だと評価しています。
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登録日時: 2014年3月26日(水) 3:44 pm

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