中国の食文化の歴史は古く、6千年以上の昔から焼く・蒸す・煮るといった調理法を行なっていたようです。春秋戦国時代、周の時代の会席料理には、焼く・煮るといった料理の他、酒漬け生物・野菜の塩漬けなどもあったようです。特に魚の照焼きが大変好まれていたようです。
その後の三国時代においても、焼く・蒸す・煮る・乾す・漬けるといった調理法が主で、調味料は塩・醤・酢・山椒・ショウガなどだったようです。
主食は、北部は麦(パン)、南部は稲(米)が主だったとあります。北部のパンについては、秦・漢時代に酵母による発酵技術が開発され、小麦粉の加工品であるパン・胡餅・饅頭が作られるようになったようです。古書では麦の事を麺と言っていたようです。また、饅頭の起源は「諸葛孔明」であると言われています。南部の米については、長江文明時代から主食であったとあります。
副食については、豚・鶏・魚(主に淡水魚)などの肉類、瓜・筍・蓮根・芋・茗荷などの野菜類、桃・李・杏・棗・栗の五果といわれる果物だったとあります。三国時代の副食肉類については、牛・豚・羊・鶏・鹿・犬・鴨・雁・兎・雉・鶴と、かなり種類が多かったようです。しかし、身分や貧富の差などによって食べ物に違いがあったとあり、豚と鶏は庶民の食べ物のようでした。
現在の中華・中国料理で一般的に見られる、炒める・揚げるといった調理法の起源は北宋の時代で、磁器の製作に使用していた石炭窯を料理用の炉やかまどに転用してからとあります。以後、南宋から元の時代にかけて普及していったようです。
時代は変わり、世界各地に移住した華僑・華人の人々、主に広東人によって中国料理(広東料理)が世界中に広まることになります。粤菜(広東料理)の特徴から「中国人(広東人)は足が四つである植物は机以外、足がふたつある動物は人以外、泳ぐ物は潜水艦以外、飛び回す物は飛行機以外はすべて食べる」といった言葉が生まれたように思われます。
このことから、中国人の食に対する意識や興味と追求はとても深いことが分かります。また、長い歴史を持つ中国の食文化は、周辺諸国や世界にも深い影響を与えてきたことも分かります。